「ひとりでは生きられない」という縁
「ひとりでは生きられない」という縁
「共生」という言葉を聞いて、何を浮かべるでしょうか?
例えば、地球環境で暮らしていくために、互いに補完し合いながら生き抜いていく姿でしょうか。
例えば、異なる思想や秩序を持ち併せた者同士が、理解し合う姿でしょうか。
例えば、子どもを育てるために、両親、先生や地域の人たちが協力していく姿でしょうか。
共生の輪は、異なる要素や個体が互いに補完し合い、協力して調和を築く概念を指します。
これは人間社会や自然界において、異なる存在が調和と平和の中で共存する重要性を強調します。
共生の輪を構築することで、多様性が豊かな未来を築き、持続可能な社会や環境の実現が期待されます。
異なるバックグラウンドや価値観を尊重し、協力と理解を深めることで、より良い共生社会が形成されるのです。
しかし、実際はどうなんでしょうか。例えば「人の手を借りる」とは言いますが、
「助けて」の一言が出せない場面は無数にあるように思えます。
その言葉をつぶやくことを恥ずかしいと考える方も少なくないでしょう。
「共生の輪」は、仏教の文脈では「縁起」とも呼ばれます。
生命や事象が互いに因果的な関連性を持ち、
相互に影響し合っているという理念を指します。
共生の輪は、個々の存在が孤立していないことを強調し、
相互の関わり合いを通じて生命や事象が成り立っていることを示唆しています。
この考え方は、一切の生命が互いに依存しながら、
因果的な関係を通じて結ばれているという仏教の世界観を表現しています。
縁というグループであなたは生まれて、生きている。
つまり、「助けて」ではなく、
「助け合わないと生きられないという生態系の中にそもそも存在している」のです。
この世に生まれ落ちた時点で既に、人は人との縁の中に存在していて、
それは切る切らないの概念上の話ではなく、助け合うことが当然の世界に生きているんです。
互いに共存しあうことが当たり前であり、そこに壁は存在していないんです。
例えば、赤ん坊を育てる時に、今まで子育て経験のある親や、近所の人、
保育園や幼稚園、近くのお医者さんなど
たくさんの人の手を借りて育てていくことになります。
なにをするにも人の手が必要な赤ん坊が、
「人の手を借りる」「他人に助けを求める」ことに恥ずかしさを感じるでしょうか。
「ひとは一人では生きられない」ではなく、そもそも一人じゃないのです。
誰かに手を差し伸べて、誰かに手を差し伸べてもらう。
そうするように運命付けられて私たちはこの地球の上を歩いているんです。
この「縁」を自然と受け入れて過ごしていただけることを願います。
もっと、楽に息をしていけるように。