『日光みそのたまり漬 上澤梅太郎商店さまが社員研修の一環として来山されました』

道が交わるところに、祈りが生まれる

今市という地は、日光街道と例幣使街道、ふたつの大きな道が出会う場所でございます。
人が集まる。荷が行き交う。そして——祈りが生まれる。

道中の無事を願い、この如来寺の山門をくぐった旅人たちが、幾百年にもわたってここにおりました。
大名も、商人も、名もなき旅の者も。皆、同じように手を合わせ、同じように阿弥陀さまの御前に立ったのです。
当寺は、徳川家ともご縁が深く、幕府の篤い帰依をいただいてまいりました。しかし当寺が大切にしているのは、歴史に名を残す方々よりも、名を残さなかった無数の旅人たちこそが、この寺を支えてくださったのだということです。
「縁」とは、そういうものではないでしょうか。
大きなものも、小さなものも、すべてが結び合って、ひとつの場所が生かされてゆく。

二宮尊徳翁の教えが、今も息づくこの地に

幕末のこと、荒廃した日光神領の復興を一身に担われた二宮尊徳翁が、この今市を終の棲家とされました。
翁のお墓も、今もこの地に静かに眠っております。
翁の教えは「報徳」——勤勉に働き、質素に暮らし、人と人が助け合って生きてゆく、というものでございました。 難しい言葉で言えば「分度」と「推譲」。
自分の身の丈をわきまえ、余った分は次の世代へ、隣人へと譲り渡してゆく。
これは、仏教の「布施」の心と、とても近いものを感じます。持てるものを独り占めにせず、縁ある人へと開いていく。翁は仏門の人ではありませんでしたが、その生き方はまさに菩薩行と申し上げても、過言ではないかと思うのです。
この今市の土地に、「勤勉」「質素」「共生」という精神が根付いているのは、翁がここで生き、ここで息を引き取られたことと、決して無縁ではないでしょう。

水と、発酵と、時のはたらき

ところで、皆さまは「たまり漬け」をご存知でしょうか。
今市には、日光連山から湧き出る、清らかな伏流水が豊かに流れております。
その良水が、酒を醸し、味噌を育て、醤油を生みました。多くの旅人が行き交う宿場町でしたから、長く保存できる食の知恵が、自然と磨かれていったのです。

「たまり」とは、味噌がゆっくりと熟成される中で、じわりと滲み出てくる、旨味の凝縮した液体のことです。急いで作ることはできません。時間をかけ、じっくりと待つことで、はじめて生まれてくるものです。
この「たまり」という言葉と、その成り立ちには、深い味わいを感じます。 人の心も、そうではないでしょうか。 悲しみも、喜びも、学びも——じっくりと内側に積み重なって、いつしか「深み」というものが生まれてくる。焦って絞り出そうとしても、出てくるものではない。 「待つ」ことも、また修行のひとつではないでしょうか。

山門の前で、旅人に手渡されたもの

当寺の山門のすぐそばに、今も「たまり漬け」の老舗が暖簾を掲げております。
かつてここを歩いた旅人たちは、険しい山道をすでに越えてきた者であり、これから日光の急な石段に挑む者でもありました。塩気と栄養の詰まったたまり漬けは、そうした人々にとって、文字通りの「力の糧」だったのです。
お寺の門前で、旅の疲れを癒し、また一歩を踏み出す力をいただく。 それは食べ物だけの話ではないように感じられます。手を合わせ、静かに息を整え、阿弥陀さまのお慈悲を受けることもまた——次の一歩への「力の糧」ではないでしょうか。

戦後の高度経済成長の時代、ひとびとがクルマで旅行ができるようになって以来、たまり漬けは地元の保存食から、日光・今市を代表する名産品として全国に知られるようになりました。今市の水と土と、人々の手と知恵が、長い時間をかけて育てたものが、やがて遠くの人々のもとへと届いてゆく。
ご縁とは、そうして広がっていくものなのだと思います。

先日、日光みそのたまり漬 上澤梅太郎商店の皆さまが今市の歴史や文化に触れるひとときとしてご来山くださり、当寺の由緒やご縁についてお話しさせていただきました。
道が交わるこの場所で、これからも皆さまとご縁を結んでいけることを、心よりありがたく思っております。
合掌。

日光みそのたまり漬 上澤梅太郎商店の皆さま